• 13 – 名前のない

    2022年1月18日 update

    洗濯物を畳みながら久しぶりに号泣した。年末のとある番組でカバーを歌う演歌歌手の歌に目が離せなくなり、自分でもびっくりするほどに大泣きした。本当に素晴らしい歌だった。あまりに涙が止まらないので近くにいた夫がタオルをそっと渡してくれた。私と同世代の演歌界のスター。どんな場所でも自分の歌を誇り高く歌っていらっしゃるところをこれまでも何度も何度も拝見してきた。最近ではポップスにとどまらずアニメやロックなども取り入れてジャンルを超えた表現をされていることでも有名で、わたしなどがあれこれと分析したり解説を添えるようなことではないけれど、想像以上の多くの努力を重ねてこられたんだろうと思う。その歌には覚悟が込められていて心から震えるすばらしい時間だった。音楽で泣いたことは数回あるがいつだって自分でもよくわからないくらいのタイミングで止まらなくなってしまう。素晴らしい歌を聴いていると自分もこんな風に歌えるだろうと錯覚する。でも実際に歌ってみると想像の5倍くらい歌えなくてなんて難しいんだと我に変える。

    歌との距離にこの10年ほどはずっと悩んだ。自分の作る(作りたいと思う)音楽と自分で歌う「歌」の現実が背中合わせに思えてライブをすればするほど理想と現実が遠ざかっていきその狭間でずっと試行錯誤していた。実際にmiu mauに新しいボーカリストを迎えたいとメンバーに相談したこともあるし、ソロでも歌わないトラックは面白くてどんどん進むのだけど歌を入れるととたんに制作が止まってしまうのだった。時々言われる歌詞の内容については自分自身のこととは関係なくて世界中のどこかに潜んでいることをテーマとして取り入れているので(前バンドの頃からそのスタイルは変わっていない)歌詞との距離感ともちょっと違う。歌との距離になぜ悩むのか。なんて傲慢なのだろう。


    コロナ禍になってすぐの頃私はとにかく「いい歌」を渇望していた。目の前で何度も体験したあの心がぎゅっと震えて止まらなくなってしまうような誰かの歌を聴きたくて聴きたくて仕方がなかった。「夜が明けたら」をカバーすることになり浅川マキさんの歌を聴き追っていくうちに(なんとて浅川さんの歌すごいので)、声を発して歌っていくうちに静かにああこれだと思えた瞬間があった。きっと10年前にこの曲を歌っても何も気づけなかったんじゃないかと想像する。子供の頃から歌うことが大好きだったし20代は歌うことそのものが生活のすべてだった。若い頃わかったような顔をして聴いていたビリーホリデーが今はすうっと聴けるように、今、私は背伸びすることなく歌と向き合えるんじゃないかと少しだけ期待している。現在進行形をこれからも育んでいこうと思う。

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